311や熊本地震のような物理的な衝撃があるわけではないので、
とても静かなパニック。
そんな中、お仕事の面談のために
すこしだけ東京に行きます。
当たり前だと思っていた日常が壊れるのって
あっけないっていうのは、昔ブログで書いた通り。
こちらをご覧ください
今回のコロナウィルスは静かだけど先が見えない。
逃げればいいというものでもない。
ひたすら、じっと収束をまつのみ。
自分ではどうにもならない状況なのに
今回はとても落ち着いてる。
生き方を考えるのは3回目。
家族と一緒に過ごしながら、次の15年はどのように生きようか?
と考える。
同じことを繰り返しては人間として生まれたのにもったいない。
ちなみにこれは311のときに起こった買占め現象の写真。
僕はこの時よりは賢くなったかな?
不安になると普段より多くのものを買ってしまう。
食料があれば、マスクがあれば、トイレットペーパーがあれば安心?
今目の前に起きている出来事には意味があると思う。
日々の生活に忙殺されて物事を考える余裕を奪われていたのが、
今はじっくりと考える時間がある。
労働と消費で終わる人生?社会?
その社会に適応させるため「だけ」の教育システム?
国民は国家の奴隷とか考えていない日本政府?
まぁ、仕方ないと思ってしまうメンタリティー?
「何も考えるな。消費だけをしろ」?
じわじわと広がる感染。
誰も例外なく「考える」機会を与えられてる。
と思いますよ。ほんとに。