以前、トランス状態になったときに
聞こえたり見えたりした世界がありました。
それは光の粒子の世界だったり、鼓膜ではなく自分の芯の
エネルギー体に直接響く壮大な声だったり、
目に映るもの全てに感謝の気持ちが湧いたり。
「おぅ、いきなりスピか!」と突っ込みが入りそうですが、
これはこれ。「そんな世界も見えることがあるのね」程度で。
だいたい、こんな世界が日常的に見える状態だったら
普段の生活ができなってしまう。
スーパー行って買い物したり、ダンスレッスンやったりとか。
嫌でしょ、売り場でいちいち大根とかに「ありがとうぅ!」とか
言ってる人がいたら。
そうではなくて。普段の生活の中でも
捉え方一つで「神様からの声」として受け止めることができる
ということ。
それも宗教じみた話ではなく。
ところで
僕の実家青梅市には御岳(みたけ)という駅があり、
そこを最寄り駅として吉野梅郷だとかがあるのですが、
吉川英治記念館なんてものもあります。
その吉川英治の言葉に
「われ以外みなわが師」ってのがある。
これを師(先生)とするか神様というか程度の違い。
もっと馴染みのあるフレーズならユーミンの歌。
「目に映る全てのものがメッセージ」でもいい。
作家とかアーティストは作品を創るために
常に感覚を鋭くして、アンテナをはってネタを探している。
だからこういうフレーズや座右の銘が自然と出てくる。
これは理にかなっているし、とても普遍的なこと。
つまり
「目に映る現実」
「われ以外が喋った言葉」
これら一つ一つを使って必死になって何かを伝えようと
してる存在がいる。
んだろうなと。
トランス状態になったときの現象として
自動書記とか自動リーディングっていうのもあった。
特に自動リーディングってのは面白くて、
目に入る活字。例えば新聞とか、醤油の成分表示とか、
テレビのテロップとか、時計の文字盤だとか
一文字一文字を目で追うようになって、
繋ぎ合わせると文章になって頭に入ってくるというもの。
これも極論だけど、
吉川英治やユーミンの言いたいことはこれに近い。
なんの脈絡もなく入ってきた誰かの言葉。
例えばラジオのコメントや隣の人たちの雑談とか。
望まない辛い状況。例えばいじめや、コロナ過で
仕事を失って困窮してるとか。
今、目の前にある現実や言葉には基本的に「良い」も
「悪い」もなく、ただ淡々と現象として連なってるだけ。
それをどう解釈して、何を自分が選択するか。
これが「神様の声を聞くコツ」なんだろうと
最近改めて理解した。
人間には感情があるから難しい。当事者になれば
失業して金がないってなったら焦るし、絶望するし、
自己否定もしたくなる。コロナで行き場を無くし、
相談する相手もいなければ煮詰まって良からぬ考えが
頭をもたげてくる。
わかるわかる。僕も感情的な人間なので。
まだまだ途上です。
俯瞰して捉えろと言われても難しい。
ただ、感情が自分を支配してるときに不可逆的な
決断や行動をしてしまうのは「もったいない」と
思ってしまうのです。
100%断言する。やってしまった後
「やっぱ、やめときゃよかった」って思うことになる。
これ間違いない。
ので結論。
目の前の現実に基本的には「良い」も「悪い」もなく
ただの現象。
その現象を媒体として伝えられてるメッセージがある。
そのメッセージを自分なりに解釈して次の選択の参考に
しましょうよという話。そして淡々と生きる。生き抜く。
大丈夫。「良く」にしかならない。
ということで、そんな想いなんかも込めて
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