与えられた役割で「一所懸命」生きる。世界を良くするために投じる光の一投。

自分の役割を知る

表面的な出来事や感情で判断ばかりしていると自分の中心には近づけない。
つくづく、そう思う数週間でした。それは例えば自己顕示欲だったり、他者支配欲だったり。
他者との比較による妬みや焦りだったり。もともとは善意や奉仕の心であっても、実は見返りを
無意識に求めていて、自分の「気遣い」に対して無反応な相手に対して一方的な憎しみ
を感じたり。表面的には涼しい顔していても、腹の底ではドス黒いマグマがグツグツ
していたりする。幸い?日本では「涼しい顔」をしてくれる方が多いので、表面的には社会は
なんとか丸く収まったりして。その歪みは「いじめ」やら「自死」という形で現れたりする
わけですが。このドス黒いマグマがあるから、逆に人間臭くて小説や物語になったりもする。
念のために僕はこの黒いマグマを否定するつもりはないです。これも人間を構成する大事な要素だし、
これがあるからこそ気付けることもある。そのうえで、自分の役割に気付き、
それぞれの立場で一所懸命生き抜くことが大事なんだなと感じた。
3月の「もらい事故」から始まり「日田サンバパレード」までの間、
「そういう事か」と思うことが多々あった。

「一所懸命」自分の役割を受けいれる

もう済んだ事だし自分の中では消化したことなので、今は極めてフラットな気持ちです。
もしも関係者の方、この記事を読まれても何も気にしないでほしい。
むしろ色々な意味で感謝で一杯。
今回の「日田サンバパレード」ですが、少し前までは「行く前から帰りたいイベント」でした。
九州初の本格的なリオスタイルのサンバパレードができる!と思って、
2022年のパレードは目いっぱいのエネルギーを注いだ。
事前のサンバレクチャーも惜しまなかった。
パレードが成功裏に終わった後も、ダンスワークショップを定期的に開催し
サンバの火を絶やさないように毎月日田に通った。それこそ台風だろうと
大雪で路面が凍ってようと山を越えて。日田の人たちと繋がりを保ち続け、
もう一度九州の仲間と一緒にパレードしようとあらゆる根回しをした。
その結果。今年は九州の仲間とパレードではなく、
外部チームが請け負う形になった。
僕はその一部にどうにか混ぜて頂くだけの形になった。
一緒にパレードに参加できなかった皆様本当にごめんなさい。

 

改めて自分を取り巻く事実と、湧き上がっていた黒いマグマを俯瞰してみる。
「あぁ、そういう事か。これが僕の役割なんだな」という結論に至った。
「状況に変化を起こして、何かをスタートさせる火付け役」が僕の役割。
日田の市民ダンサーさんたち、レッスンに通ってくれていた人たち、裏方の方々、
沿道の人々の笑顔が紛れもない事実。何も無かったところに変化が起こり、
新しいことが
始まっている。その後は安心してバトンを渡せばいい。

パレード翌日に受けた滝行(笑)の水しぶきとともに黒いマグマは吹き飛び。
自分の中心にある純粋な光だけが残った気がした。
自分の役割に気付き、受け入れると気持ちは楽になる。
それで良いんだと言う気持ちになる。

人の役割を尊重する

相手をリスペクトするという事は「その瞬間の、相手自身の存在理由」を
認め受け入れるということ。それは自分に対してネガティブな影響なのか
ポジティブなのか関係なく。
その瞬間にその人を介して、どうして自分自身に起きた現実なのかを考えて
尊重する。とっても難しい。ドス黒マグマゾーンに行きがち。
「なんであいつが!」「なんで私だけ!」とかね。
他者比較のマグマゾーンは、その役割の違いに気付けずに単純に
スペック比較して起こること。
「アイツの方が!」とかね。その人は、その人の役割が合って
そこに居て、その為に必要なスキルや経験を持っていて、それによって
影響される人が居る。それぞれが違うのは当たり前。
それぞれの人の役割に気付き、尊重できると自分がとても楽になる。

光の一投が自分

なぜこんな面倒なサイクルを繰り返すのか?
それぞれに役割を与えて、それなのに、
ドス黒マグマゾーンに引き込んだりして。
それは「気付き」を繰り返して、世の中を良くしていくための
光の一投が自分だという事。
光は「気付き」によって磨かれれば磨かれるほど輝いて、世界が良くなっていく。
少しづつね。
世界の純度を上げていくのが、我々の寿命を使ってコツコツやっていくこと。
なので、これからもコツコツとネガティブなことも起こり
ドス黒マグマを沸き上げることもある。そして気付きを得て、必要なら滝に打たれて(笑)
それでいいのです。それが生きるってことだもの(笑)

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