僕の幼児体験で
未だに憶えていることがあります。
小学校一年生のとき、母親の勧めで
初めて日記を書き、
それを担任の先生に褒められた。
内容も覚えている。
運動会についての感想。
「赤組は負けたけど頑張ったと思います」
といった内容だった。
先生は「思います」と書いたところに赤線を引いて
花丸を付けてくれた。
そのあと日記を毎日書くようになった。
書いたものを先生に見せる。
先生は僕が「〇〇と思う」と書いたところに
特に花丸を付けてくれた。
それが嬉しくて、僕は自分で思ったこと
感じたことをドンドン書くようになった。
日記は小学校6年生の前半まで続き、
担任が変わっても、前任の先生が引き継いでくれた。
次の先生も必ず感想や花丸を書いてくれた。
その体験が今の僕の基盤になっている。
昨日、僕にとって一つの試みとして
「ブラジル帰国報告会」を開催しました。
まずはご来場いただいた皆様ありがとうございました。
おそらく色々な事を「感じて」くださったと思います。
報告会と銘ってはいますが、
僕の中では講演会だと思って準備してました。
つまり
「こんなことやりました」
「こんな体験をしました」という単純な事実報告ではなく、
ブラジルでの体験を通じて感じたこと
気付いた事、考えたことを伝えるのがメインだということです。
なので、準備の段階では現地で撮影した膨大が画像や動画の
整理だけでなく、「報告会」で伝えたいメッセージを
言葉にする作業をしていました。
これだけは伝えよう。
必ずこれを受け取って帰ってもらおうと
文章化してました。
報告会前日、暗澹たる気分になる動画を偶然見てしまった。
数年前にアップされた日本の現状を伝える動画。
眼前に起こる現実に偶然というものはない。
全てに意味とメッセージがある。
これは僕が「音楽舞台」という表現方法を閃いた時期に
同時に閃いた言葉です。
何か意味がある。
その動画を観た後に自分が「報告会」で言おうと思っていた
文章を読み返してみた。
気持ちが揺らいだ。
メッセージは良い。でも、もっと切迫感が必要では?
と思い
わざわざPDFにしていたページを一ページ削除した。
講演中に降ってきた言葉をストレートに伝えようと
思った。
結果、僕が当初文章化していたことの
何パーセントも伝えられたかどうかわからない。
聞いた方の解釈にゆだねることになってしまったと思う。
僕はラジオ番組を持っています。
「伝わるかどうか分からないけど」という枕詞は言わないでください。
伝わるように喋ってください。
もしくは、伝わるかどうか分からないことは喋らないでください。
という厳しい指摘を先日受けた。
分かりやすさ。何も考えなくても便宜を払ってくれる
日本の「おもてなし」
例えば羽田空港での出来事。
黙って歩いていても「お声掛け」してくれる。
すんなりチェックインができてしまう。
誤解が無いように、間違いがないように。
小学生でも理解できるように。
これはこれで便利。ブラジルから帰国したとき
その有難みをとても感じた。
でも暫くすると、その危うさを感じるようになった。
自分で考えて、感じて、思うことを
どんどん排除していっている?してきた?
「何も考えなくていいんですよ。ただひたすら働き
ひたすら消費してくれればいいです。
政治や日本の将来のことなんて考えなくていいんですよ」
そんな言外のメッセージがメディアや社会システムには溢れてる。
大丈夫?
腑抜けになってませんか?
自分で考えることが退化して
自己肯定感が低く
反抗どころか物言わず
人間関係が希薄で
出る杭をネットでディスって
お互いの分断を深め、
でも従順で几帳面で
格安で死ぬまで働いてくれる。
言い過ぎですかね。
ブラジルマンセーと言うつもりはないです。
自分で考え判断する「遊び」が日本に必要では?
日本人いいところ沢山あるんですが…
このまま
滅びの道を「何も気が付かず」
静かに進んでいるような気がして
ならないのです。
日本人が生き残るヒントは地球の裏側にある?!
第二回「ブラジル報告会改め座談会」をお楽しみに。