山に潜みアートに浸る。聞こえるのは川の音。

最近、ご縁あって山の中の古民家を借りることができました。
10数世帯の集落。その何軒かは空き家。
その空き家のなかでも一番上にある100年物の古民家。
そこを僕のアトリエとして借りました。

案内されて山の急な路地を上り
林に埋もれるように残っていた古民家を見た時
既視感を感じました。

アトリエを探し始めて2か月弱
自分の中でイメージしていた家とぴったりだった。
家の造り、家を背にして見える景色。
そばを流れる清流。山から聞こえる鹿の鳴き声。
誰も耕さなくなった小さな畑。

妄想は形になる。
以前から僕が信じて発信していることですが、
そのストリームに完全に乗っていると感じます。
ちなみにイメージ通りの値段と古さの軽トラも
すぐに手に入った。

手助けしてくれる素敵な人々とも有難く
ご縁を頂いた。

僕の新たなアトリエ(家)の脇から湧き出る山水のように
その瞬間に必要なリソースが引き寄せられてくる。
それを抵抗することなく、ごく自然を受け入れる。
僕ができることは感謝することのみ。

100年物の古民家なので色々とガタは来てます。
ボチボチ直しながら山に潜み、絵を描いてます。
まだ泊まれる状態ではないので自宅から通いですが。
それでも片道40分程度の近さ。言うことなしです。

家の周りの雑草を刈り、ご近所にあいさつ回りをし
焚火をして坂のしたから我がアトリエを見上げると
また新たな妄想が生まれてきました。
空き家も耕作放棄地も周りに沢山ある。

家は人が住まなくなると途端に痛みます。
それは家に使われてる木材が人間の二酸化炭素や
煮炊きで出る二酸化炭素を吸収できなくなるから。
伐採され建材となった木も生きてるんです。

放っておいたらいずれ無くなる小さな集落。
この豊かな水、豊かな山の恵み、畑を活かすこともなく
忘れられてしまう。

新たな妄想。
ここにアーティストビレッジを作れないか?

三角にも既にありますが。ちなみにそこの創設者と
この古民家はつながりがある。

アトリエ整備して、スタジオ整備して、放棄された耕作地の一部を
野外舞台にしてイベントをする。寝泊まりして制作して稽古して
山の上の野外舞台で発表する。傍らで畑を耕す。山の恵みを頂く。
芸術と自給自足。やっぱりこれからの時代は特に必要になってくる。

世界がコロナを口実におかしな方向に向かっている。
そんな時に何も準備せずに、今まで通り社会システムに依存していては
いずれ破綻する。何もなければよい。でも予防原則に従って行動する。
この考えは311から変わらない。

と長くなりましたが。
楽しみながらボチボチやってますので、
そのうち遊びに来てください

今度の2月14日は広島で音楽舞台ユグドラシル公演です。
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